人生とかいう、終わってる現象。

こんにちは。

皆さんは人生、楽しんでますか。

僕は楽しくないです。

 

幸福度ってあるじゃないですか。

あれって命がある限り減衰し続けてしまうと思うんですよ。

幸と不幸が等量なんてあり得なくて、不幸の方が圧倒的に多いです。

 

生まれた段階が幸福度の天井で生きているうちにどんどんと削られていく。

何も知らないことが1番の幸せで、知識を蓄えるほど不幸が生まれます。

 

僕たち人間は恋人を作ったり、美味しいものを食べたり、欲しいものを買ったり、人生を多岐にわたる欲で満たし続けます。欲が満たされたときに幸せ、と思えるようになります。

当然だが自分にとって幸せな出来事が発生した瞬間、自分にとって不幸せな出来事が起きてしまう未来が確定する。

幸せの絶頂に対して失う悲しみの反動は巨大だ。一時的に幸福度を上げることは可能だけど、そんなもの一生続くわけではない。

このことを幸せの前借りとする。

 

生きるということはどこまで行っても救いのないクソゲーです。

生きている間中、様々な外的要因に刺激されそれを自分の中で処理し続けなければいけない。

恐怖、悲哀、怒りや喜び、絶えることのない感情の奔流を味わい続ける。

人が構築した社会というものは生活を彩るわけでもなく、幸せと不幸せを可視化させるためのものになっている。

一般的、という誰が作った概念なのかわからないものによっていちいち採点される。

美しい人類の叡智なんて、もうどこにもない。

 

高度に発達した文明に於いて私たち人間は、幸せを模索している。

人生が絶望であることを認めたくないから。

けれども幸せの前借りを連続させた果てにあるのは、おそらく幸福の倍くらいある不幸だ。

 

万物は朽ちていくばかりで

人と人の別れは必ず到来する

苦しみは絶え間なく存在していて

毎日自分を削って暮らしている

徐々に廃れていく生活に美しいエンディングなんてなくて

人生の最果てでただの肉になる。

これが僕らの全てです。

 

いつか終わりが来ると知っていても尚、人間は愚かなのでそれを否定しようと幸せを前借りし続け何事も最後に絶望します。

楽しくて幸せなこともいいけれど、長い目で見れば結局は辛くなったり寂しくなるだけ。

天涯孤独で誰にも愛されず、誰も愛さず生きることが最良かもしれない。

幸せの前借りで未練を作ってしまったばかりに、私たちは来たる絶望に対して身構える羽目になるのだ。

自分から幸福を築くよりも、最高の状態を想像するよりも、最初から不幸の流れに身を任せた方がきっと楽だ。

幸福度というのは丁寧に蓄積させるものでなく、いかに上手く消耗させるか、それが現代を生きていく上で私たちに必要なスキルなんだろう。

最後には何も残らないのだし、そんなもの死ぬまで大事にしていて何の意味があるのか  なんて詭弁ですかね。

 

人生とかいう終わってる現象に立ち向かうべく、常に不幸でいましょう。そしたら最後は幸せです。