本末転倒
ゲーッ もう10月ってまじですか。
こんにちは。呑気に生きています。
気づいたら自分の中で大人だなぁって思う年齢になっていました。
相変わらず鬱病の顔しながら毎日を棒に振りながら意味もなく歳ばかり重ねている。
しかし、それはそれで楽しく生きている気もする。少し前の私ならすぐ死にたいだのなんだの宣っていたことだろう。
今年は色々あり死ぬことに対する価値観が変わった。と言うよりも生きるべき理由が見つかった。
安っぽい言葉ではあるが周りの人に感謝というやつだ。
とは言え人生に希望を見出せた訳ではない。
薄暗い部屋に篭ってぐったりする日の方が多い。
天井とスマホの画面を交互に見ては襲い掛かる怠さや頭痛に悶える日々。
外へ出ようにも能天気な人達で街は溢れているし。
とまあこんなふうに理由をつけて現実から目を背けることへの正当性を生み出している。
・本題
以前友人と話をした。
人生は本末転倒であるということについて。
自分が住み良い環境を作るにあたり、あれこれ必要となる。
その環境を作るには自分を擦り減らすことが必要となる。
いいとこ取りで全てを成すなんて難しい。どちらかを犠牲にして我々は生きていかなければならない。
何のために生きているかわからない、という文言はメンヘラが良く口にするものだが実際のところやりたいことだけやりたいのであって、やりたいことへ到達するにはやりたくないことをやらねばならない事の方が多い。やりたくないことから目を背けているため、やりたいことができず何のために生きているかわからなくなる。
私たちは楽しく人生を送るために生まれてきたはずが、何故か楽しいことをするために楽しくないことを強いられる羽目になった。
辛さを乗り越え幸せを手にした後待ち受けるのは次の幸せへの長く険しい道のりだ。
以前もブログで書いたことがあるけれど、幸せと不幸が等しく存在することはあり得なくて不幸の方が絶対的に多い。
幸せのために不幸になるなんて些か本末転倒ではないか。
人生は幸せ不幸せのいたちごっこである。死ぬまで馬鹿みたいにぐるぐる回り続ける。
私たちは「知る」ということを覚えた時点で不幸なのだ。
あれやこれやを求めてしまう強欲な生き物になるつもりはなかった。
どうせならば白痴のように何も知らず、何も分からず、何もできず、ぼうっとしながらありのままを享受して過ごしている方が幸せなのではないか?
どこまでいっても人間とは愚かで、愛らしい生き物だ。我々が愛玩動物を見て可愛いと思うように、神や仏も我々を見て悦に浸ってることだろう。
心や睡眠の安定を得るための薬も、飲まなければ不安が顔を出し、眠ることすらできない。血中濃度が下がれば離脱症状や副作用も出る。
健やかな精神状態を得るためにしていることは、自ら不安定になる要素を獲得している、意味のわからない行動だった。
それでもやらねば気が狂うので甘んじて受け入れている。
そうしてこのまま、いつおかしくなるか分からない状態で生きている。不安になれば薬を飲む。薬を飲めば不安になる。訳がわからない。
生きていく過程で生じる物事は何もかも無駄だと思う。人が文明を作り、社会を構築し、そして得られたものは環境の破壊だ。
人間が住みやすい世界を生み出すためにやってきたことは人間が生きづらくなる要素となっている。
なんとも、本末転倒だ。
ちなみにこうして屁理屈を垂れているこの時間が一番無駄です。
とっとと外に出ろヒキニート、これが答えでした。
おわり