生きること、それ即ち不治の病。

久々にブログを書く。

 

夏真っ只中、ベランダで抑鬱を爆発させ脂汗を滲ませ、スマホと睨めっこしている。

誰か早く殺してくれ。

 

閑話休題

私はとくべつ、厭世主義というわけでもないが(自称するのがダサいため)人生に救いはないと思っています。

生きること、とは人間が遍く罹患している不治の病だ。死ぬまで治らない。

生きている限り一般的な人間ならば感情を有している。

感情はバグだ。喜怒哀楽など無い方が遥かに人間は素晴らしいはずなのに、我々人間は感情という曖昧模糊な物差しによってだいたいの物事を測っている。

 

誰かを糾弾する時、誰かを擁護する時、主観的なことでしか動けないのが人間だ。

最愛の人間が誰かを殺したって、心の奥底では赦そうとしてしまうはず。

知りもしない人間の悪事は、向こうの背景など露知らず  叩いてしまうはず。

 

良くも悪くもこの感情という致命的な欠陥が人を人たらしめていて、神が神たりえることとして大事なのだろう。

 



以前このようなツイートをした。

人が人らしくあるためには、不完全でなければいけない。いけないと言うか、絶対的にそうなっている。

この世に完璧な人間なんていない。いたとすれば人間ではなく神の類だ。

 

私たちは人である限り、誰かを憎しみ、怒り、愛し、その感情の揺動に身を窶す。

このくだらない病に人間は一喜一憂する。そういった意味でこの世に救いはない。

これは紛れもなく神からの、人間に科された罰であり祝福でもある。

 

完璧になろうと足掻けば足掻くほど、滑稽な生き物になってしまうと私は思う。

 

この世に救いは無いけれど、感情の機微に突き動かされることを憂うもよし、幸せと取るもよし。

 

十人十色の哲学によってこの世界は構築され、いずれ終わる。

 

完璧になるのは涅槃に到達してからでいい。

どうか人類最期の日まで誰かを愛して誰かを憎んで、人は人であろう。

それが私たち人間の使命です。