雑記 20 1208

こんにちは。

ブログって書こうと思って書けるものじゃないな。

生業にしている人はすごいと思う。

私は自ら生産することのできない人間で、何かしらのネタが降ってこなければ文章を書く気が起きない。

ただまあ、なんとなく暇な時には思考を文章におこすのもいいかもしれない。

 

 

・好きな漫画が終わる

週刊少年ジャンプにて連載されている「チェンソーマン」が次号で最終回を迎える。

この漫画の結末を見届けなければ死ぬことはできないと常々思っていたのでこの世の未練の一つが消えます。喜ばしい気持ちが生まれると同時に好きな作品が終わってしまうのは少々切ない。

 

人は終わりが近づけば嘆き悲しむものだけど、終わってみればあっけなく忘れてしまう。

 

夏休みの終わりのように  明日が来なければ良いのにといった気持ちは 徐々に薄らいでゆき  たいていの人は 冬休み来ないかな。はやく明日になればいいのに。という気持ちに変わります。

物事の終わりに対する恐怖は、私にとって終わることよりも忘却される方が怖い。

 

インターネットとは便利で ある種その人の墓標になり得る。

私が死んだらどうなるのかなんて誰にも教わらなかったけど 電子の海でゆらゆら漂う幽霊になります。

 

・知能検査

この間かかりつけのクリニックで知能検査をした。

WAIS-IVというものです。内容は割愛。

ロールシャッハテストも受けました。こちらも有名なので語る必要はないかと思います。

 

知能に難ありと判断されたら私はどうするのが正解なのか。(逆に正常だった場合今までの私の生きづらさは単に怠惰なだけということが判明するのでそれも嫌だな)

障害を盾に逃げるようなことはしたくない。

かといって 私が社会性を獲得できるとも思えない。

 

ずっと不思議に思っていたこと。

所謂 社会人のみなさんは どのように一般的なスキルを身につけてきたのか。

学生の頃に学んだと言う人もいるけれど、前提の基盤となるもの自体どこで獲得したのか。

考えれば考えるほどわからない。

私が知らないだけで、自動的に社会性獲得フローチャートがみんなの脳内にインストールされてる??

助けて〜

 

自己欺瞞

私がいつまでたっても助かりたいと思うのは何故なのか。どう助かりたいのか。

助かりたいと思うのは助かっていないからで、助かれば助かる必要はなくなる。また、どう助かりたいのか これを理解するには助かっていない理由を明確にしなければいけない。

小泉構文、もとい正式な言い方をするならばトートロジーで自分を騙しています。

"助かりたい"って一体なんなのか これを考え始めるとキリがない上 底のない絶望と希死念慮が発生してしまうので 無理やり自己欺瞞で飲み下しています。

無限ループでエラー起こすよりマシ。

 

私の生活ではこういうことが多すぎる。

普通なら考える必要もないことに問答している。

 

今、私が見て 聞いて 触って 感じ取っているのはどのような仕組みなのか?

それは感覚器官があるからです。

私が前に向かって移動できるのはどういう仕組みなのか?

それは足があるからです。

 

こういう、ごく当たり前の現象が気になって仕方ない。答えはあるのだろうけど それはただの説明で 私が今体感しているこの感覚とは別物かもしれない。という統失一歩手前みたいな終わりのない考え方。

 

眠れない時にこの状況に陥ってしまいがちで  たびたび頭がおかしくなりそうだ。日頃から頭はおかしいんですけどね。

 

飽きたら死のう。

 

・どうせ死ぬなら

自殺する人っているじゃないですか。

どうせ死ぬなら、お前が死ぬ前に私を殺してくれと思ってしまう。

自殺ってめんどくさいなあと最近思う。

首括るにもいちいち防水性のあるものを下に敷いて前日から食事を抜いて事前に体内にあるもの全部出して、って死ぬためにこんな手順が多いなんて だるいです。

死んでしまえば後のことは関係ないなんて考えもあるけどなるべくひっそり穏やかに、この世から消えたい。

例えば 私がなんの準備もせずに首を吊るとする。

そうなれば後処理する人が出てくるし、方々に迷惑がかかる訳だ。

例えば 私が高所から飛び降りるとする。

最悪 道を歩いていた人にぶつかる可能性もあり、私は人殺しになってしまう。あとは見た目がグロいので普通に嫌。

 

ならば!今すぐ死ぬことを決めたあなたに殺してもらった方が楽。死んだ後何かしらの不手際があったとしても私が直接迷惑かけたことにならないから。

 

こうして私を殺した人に責任転嫁するわけです。どうせ死ぬんだから別に良いだろう。

狡猾を通り越してもはや天才かもしれない。

 

まあ死ぬ死ぬ言う奴ほど長生きするもんなので安心してください。

 

 

 

頭の中でぐるぐるしている考えを書き殴ってみました。

思うがままに書いたので整合性がとれていないかもしれないけど気にしない。

抑鬱2020(も既に後半戦)

気づけばもう2020年になってから9ヶ月経過した。

相変わらず私はウダウダしながらスマホぽちぽち、辛い時はタバコを吸ったり泣いたりしています。

はやく死にたいです。嘘!死にたくないよ〜。

てか今月歳とるんだ。嫌だなあ、やっぱり死にたい。

真綿で首を絞めたって私は死ねないから、誕生日迎えたらBALENCIAGAのベルトをプレゼントとして下さい。

そしてそのベルトで私を絞め殺してください。

 

ここ最近の私といえばTwitterでよくわからんことをグダグダ書き連ねている。

なんだかずっと、思考がとめどない波となって頭蓋に打ち付けられている。

う〜〜ん。波止場はないのか...

 

基本的に考えあぐねることは好きじゃないです。

事がスーッと滑らかに進むのが好きです。

しかし私が抱えているこの鬱屈とした気持ちは一筋縄ではいきません。

何に起因しているのかさえ突き止められればどうにかなるのですが...

薬を飲んでも良くなってるのか、悪くなっているのかすらわからない。

病院では相変わらず、おんなじことを先生に話し続けています。

表現は違えど相談内容は一緒です。逆もまた然り、先生はおんなじことばかり言ってきます。

先生って私のこと治してくれないんですかね?

薬も、ここ一年若干減って、若干増えた。それだけ。

私は終わることのない思考の地獄に堕とされたまんまですよ。

ああでも、大人ってこんなものですかね。

人生って考え続けないといけないから嫌いです。

生きることって、世界から私への嫌がらせですよね。

 

正直私の肉体って射精することと、文章をアウトプットするだけの機械でしかないんですよ。

生きるためにはどうするかを毎日考えないといけないのって馬鹿らしい。

何を食べるとか、何時に寝るとか、どこに行くとか、全部めんどくさいなあって思います。

生命維持ってなんでこんなに手間がかかるのでしょう...やっぱり肉体は枷でしかない。

 

 

痛みなんてなく安らかに死ねるまで あとどのくらいかかるのでしょう。今際の際に 私は笑顔でいたい。

 

 

 

 

 

 

生きること、それ即ち不治の病。

久々にブログを書く。

 

夏真っ只中、ベランダで抑鬱を爆発させ脂汗を滲ませ、スマホと睨めっこしている。

誰か早く殺してくれ。

 

閑話休題

私はとくべつ、厭世主義というわけでもないが(自称するのがダサいため)人生に救いはないと思っています。

生きること、とは人間が遍く罹患している不治の病だ。死ぬまで治らない。

生きている限り一般的な人間ならば感情を有している。

感情はバグだ。喜怒哀楽など無い方が遥かに人間は素晴らしいはずなのに、我々人間は感情という曖昧模糊な物差しによってだいたいの物事を測っている。

 

誰かを糾弾する時、誰かを擁護する時、主観的なことでしか動けないのが人間だ。

最愛の人間が誰かを殺したって、心の奥底では赦そうとしてしまうはず。

知りもしない人間の悪事は、向こうの背景など露知らず  叩いてしまうはず。

 

良くも悪くもこの感情という致命的な欠陥が人を人たらしめていて、神が神たりえることとして大事なのだろう。

 



以前このようなツイートをした。

人が人らしくあるためには、不完全でなければいけない。いけないと言うか、絶対的にそうなっている。

この世に完璧な人間なんていない。いたとすれば人間ではなく神の類だ。

 

私たちは人である限り、誰かを憎しみ、怒り、愛し、その感情の揺動に身を窶す。

このくだらない病に人間は一喜一憂する。そういった意味でこの世に救いはない。

これは紛れもなく神からの、人間に科された罰であり祝福でもある。

 

完璧になろうと足掻けば足掻くほど、滑稽な生き物になってしまうと私は思う。

 

この世に救いは無いけれど、感情の機微に突き動かされることを憂うもよし、幸せと取るもよし。

 

十人十色の哲学によってこの世界は構築され、いずれ終わる。

 

完璧になるのは涅槃に到達してからでいい。

どうか人類最期の日まで誰かを愛して誰かを憎んで、人は人であろう。

それが私たち人間の使命です。

成人式に行かず、浅野いにおの世界展に行った。

こんにちは。

本来なら今年の1月に成人式に行くべきだった人間の僕です。

 

1月14日。展示最終日。成人式当日。

起きたのは午後15時。

急いで身支度をし、タクシーで自宅のある新宿から池袋まで。

友人と合流。最終日かつ週末ということもあり来場者数がすごかった。

 

メインの客層は案の定、線が細い男の子や女の子。

いわゆる「サブカル系」だ。

僕らは一般的な目線で見ると割と(縦にも横にも)デカイので明らかに浮いていた。

人混みの中でかい髭面の二人組がのそのそ歩き回る。

 

展示内容は、う〜ん。まあまあ?

場所が場所なだけあってチープさを感じた。

複製原画が見れたのは良かったけれど、せっかくの展示なんだから雰囲気作りは大事だと思う。

 

それと、特設ブースを用意されていた愛子ちゃんはやっぱり愛されているのだな〜といった感じでした。

サブカル女子永遠の憧れ、田中愛子。


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↓こちらは浅野いにお本人がライブドローイングを実施した際に出来上がった作品。タイトルは池袋のメンヘラ、だそうな。

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↓デデデデのパネル

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あんまり写真撮ってなかった。

 

 

そうそう、偶然にも僕らの青春である漫画家、浅野いにおの個展と成人式の日が被っていたお話を忘れていました。

 

本来なら僕は去年20歳になり今年の1月14日に行われていた成人式に参加するべきだった。

 

しかし参加したくないのでバックれました。

 

帰るのめんどくさいし、このブログで過去に取り上げた非行少年時代の知り合いと会いたくもなかったので。

上京せず田舎でマイルドヤンキーやっている連中と話すのも億劫です。

そして変わり果てた僕の姿をあまり見せたくなかった。

(そりゃあ、ある程度歳を取れば人の容姿は変わるけど。僕の場合落差が激しすぎるので...)

 

そうこうしているうちに地元でそこそこ仲の良かった現在進行形ギャルの元友人からインスタでDMが届きました。

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なんとも雑な嘘。でもバカだから気付いてないでしょ。そんなノリで返信。

 

実際このDM届いたとき心臓止まるかと思いました。

みんなどうせ僕のこと忘れてるんだろうな、とか思っていたので。

もう僕は田舎で非行に走っていた頃の僕ではないし、恐らくこうやってDMを送ってくるということはその面影を引きずっている連中が少なからず居るということ。

 

怖い。不良特有の同調圧力に殺されたくない。

そう思ってそっとインスタを閉じて池袋を散策。

このDMのせいでこの日の後味がヤバイことになりました。

いつまでも内輪のノリを続けるのなんて考えるだけで死にたくなってしまう。

(あの頃の溌剌とした僕は死んでいるんですけどね。)

今思うと、現在の僕が本質で昔のバカやってた頃の僕はハリボテでした。

めちゃくちゃ内向的で陰気臭い、やけにインターネットでは声がでかい方が本物の自分です。

 

ちなみに後日

「成人式に行かずに浅野いにお展に友人と行きました」

という旨を知り合いに話したら

「そのエピソードが浅野いにおの漫画みたいじゃんウケる!」

などと言われてちょっとニコニコしてしまった。

 

これといって内容があるわけじゃないことをつらつらダラダラ書いてしまいました。

 

 

自分が好きなことして生きていこう。

だから成人式なんて行かなくていいぞ!みんな!

行っても絶対つまんねぇからな!

 

それでは。

死ねない理由があるわけじゃないけど

最近とにかく死にたいと思ってしまうし、ふと口に出してしまう。(最近ではないか、もうここ数年の話。)

気圧のせいか何なのか知らないけど抑鬱もひどい。そんなこんなで希死念慮はあるのに生きている。ダサいなぁ。


・鬱や発達障害とは何だろう。

インターネットも普及してきた今日この頃、様々な精神疾患や脳の病気を認知する人が増えてきました。また、罹患している人達もここぞとばかりにハッシュタグを付けて発信しています。

さて、本題ですが鬱や発達障害って何なんでしょうね?一見して見分けのつかない病気って不思議。

僕自身も鬱や発達障害などに悩まされていますが、罹患している本人ですら一体何なのかが分からない。そして今日に至るまで一瞬で寛解させる治療が見つかっていないことも謎ですよね。(お金儲けかな?)

まあ治療に時間がかかるのは、症状も人それぞれだから各々に適した治療法をじっくりと確立させるためなんですかね。知りませんけど。

一説では脳内に情報を伝達する物質「神経伝達物質」であるうちの一つ、モノアミンが欠乏してしまうからだとかなんとか。

モノアミンを脳内でめちゃくちゃ増殖させる薬とか作ったら爆売れするんじゃない?

そういえばノルアドレナリンも欠乏すると何かしら影響するんだっけ?僕は頭が悪いから知らないけど。

知ってる人いたら教えてね。


・自殺未遂 自傷行為

鬱病患者の皆々様なら一度は通る道だと思われる、自殺未遂と自傷行為について。

僕の母は「自殺は命に対する一番の冒涜」と言っていました。

かくいう僕は何度か自殺未遂を経験しており、自傷癖もややあります。

でも一度も死ねなかった。というか死にたくなかったのかな?

ベルトとドアを使ってやるアレ(詳しく書くといけないので省略)をしたこともあるけど普通に気絶して失禁しただけだった。これじゃあおしっこ漏らしただけのダサい人です。

というか本気で死にたいなら飛び降りるんですけれど、なんと言うか。(韻を踏んでいます)

変なプライドがあって、死んでしまったら最早関係ない話だけど自分の死体は人の形を保っていてほしいのだ。

そもそも僕に死ぬ勇気は無いのでたまに腕切ったりゲロ吐いたり薬をたくさん飲んだり、普通にこうやってインターネットをしています。

楽しいなぁ。


・そもそも人生とは緩やかな自殺

唐突ですが生き物は必ず死にます。寿命の長短には個体差がありますが、必ず死にます。

生まれた時点で僕たち生き物の命は既に終わりがあって、生命誕生とは広義での自殺じゃないかな〜と思っています。(自殺という概念が壊れてしまう)

お酒を飲んだりご飯を食べたりタバコを吸ったり排泄をしたりお風呂に入って睡眠をとったり、目が覚める度に刻一刻と死は迫ってきます。

人生とは常に死と隣り合わせでいつ死ぬかなんて分からない。明日死んでるかもしれないし生きてるかもしれない。

人生に於いて全ての行動は死に直結していて、それら全ては緩やかな自殺行為。それでもヒトは人生を続けている。

(完全に詭弁です。)

生き死にの話はナイーブなのでここまでにしておきましょう。


幸せとは相対的なもので、幸せになりたいと思えるうちは伸び代があるのだから。ちょっと頑張ってみて、幸せを1秒でも感じ取れたなら人生勝ち組だ!と思って生きよう。

あ、そもそも幸せって何だろうね?(以下ループ)


死ねない理由があるわけじゃないけれど、今日も生きています。

明日は明日の風が吹くので僕は風に身を任せて、桶屋として巨万の富を築くのが夢です。


それでは皆さまよき倫理を!

僕が大して"オタク"でもないのにオタクを名乗る理由

はじめに、僕はオタクですがオタクたり得る要素が何もありません。(外見や挙動はキモオタ然としていますが)


・まず

インターネット歴もそろそろ11年目に差し掛かる。アニメやゲーム、漫画に小説、音楽など色々触って来ました。しかし僕がオタクを名乗るにはハードルが高すぎる。僕がまだ小学生や中学生の頃ならば十分すぎるくらいにオタクなのだろうけど、この年齢になってくるといよいよ厳しい。まず何か一つのコンテンツに対して突出した知識がない。



・オタクプライド

世のオタク諸君らにはきっとあるだろう。あの作品のあのシーン、あの台詞回し、ここが好きだったなぁとか。ここの描写にはこういう意味が含まれていて云々。特定の作品に対する、こういった知識や愛があるだろう。

わたしはオタクを名乗っていますが、あろうことか大凡一つの作品について語りつくせるほど知識や愛を持ち併せておりません。(所謂イナゴや同人ゴロほど酷くはありませんが...)



・オタクを名乗る理由

しかし何故僕はオタクを名乗るのか、それは自己防衛的な何かなのです。

非オタと呼ばれる人種でもなければ、生粋のオタクでもない。

インターネットを長く続けていたせいか、辛うじて浅く、軽く、やや広く、何かしらオタク的な知識がありそしてオタク構文を使ってSNSで何かを発信している。よってマジョリティである非オタの方々から見たらまあオタクだろうな、と思われるような立ち回りをしています。(後々オタクだと思われるよりも先手を打ってオタクっぽさを出すことによりイメージダウンを防ぐ。)

どこにも属されないのは嫌だから、だから僕はオタクを名乗る。



・キモオタクからオタクを抜いたら何になるのか

https://twitter.com/uni_zero_va/status/1046985278148268033?s=21

そういえば、僕の好きなVtuber名取さなが「どちらかと言えばオタクではあるがそれほど語れるものが無いのでキモオタクからオタクを抜いてキモしか残っていない」と言っていましたね、まさにそれが僕です。(上記ツイート参照)


世のリアルオタクには申し訳ないけどこればかりは許してほしい。

実際好きな作品とかアーティストなどはあるし追っかけたりもしていたから。だからまあオタク名乗ってもいいよね。漫画村とかMusic FMとか使わないでちゃんと作品買ってるから...(ものすごく当たり前のこと)



・インターネットの恩恵

インターネットがあって本当に良かったなぁと思います。

僕みたいな無のオタクってのは多分世の中にたくさんいて、仮にインターネットが無かったら多分ものすごく窮屈な思いをして生きて行くことになっていたと思うから。

インターネットがあるお陰でそういう浅い知識しか持ち合わせていない無のオタク(悪口ではないです)たちがコミュニティを形成しているのだし、現に僕だってそうです。

何かコンセプトを掲げSNSをやっているわけでもない。

("オタクという概念が内包された何もないアカウント"はコンセプトになるのか?)


結構暗めな印象を込めた文章を綴ってしまいましたが、なんだかんだ言って楽しくインターネットやってます。

自分が無のオタクである事を恥ずかしがらずに公言していけたらいいな。



・最後に

Twitterは安住の地であってほしい。

インターネット始めたての子達が痛々しい言動をとったりしてもそれは誰もが通ってきた道。子供笑うな来た道だ(子供叱るな来た道だ、よりもインターネットに即した言い回しだと思って僕はこれをよく使います)、晒し者にして笑ったりせず優しく生暖かい目で見守ってあげたいですよね。